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計画関連

日本における多文化共生社会実現計画

2025年(令和7年)1月11日

 

はじめに

多文化共生は非常に複雑で、誤解されがちなテーマとなっています。短い説明ではその本質を伝えることは難しく、感情的な視点ではなく、合理的なアプローチが求められます。その理由について、以下で説明します。さらに深く理解したい方や具体的な施策について相談したい方は、ぜひご連絡ください。

 

連絡先は「こちら」からご確認いただけるか、「川西ケンジ 連絡先」で検索してください。

 

それでは、「多文化共生」とは一体何か。大きく分けて二つの答えが存在します。

 

まず結論として、日本における多文化共生とは、「グローバル化という止められない現象が引き起こす結果である国際化の好影響を好影響として保ち、悪影響を好影響に変える為の計画、即ち、日本総人口の約98%を占める日本人の利益を目的とする日本における多文化共生施策・政策である」べきだと考えます。しかし、これを理解するには、この複雑で長い論文を通じてその内容を深く知っていただく必要があります。

 

その前に、一般的な定義について説明します。下記の説明を通してこの定義があくまでも「仮定義」であるとご理解いただけます。

 

多文化共生の一般的な定義

 

一般的に、多文化共生は「国籍や民族などの異なる人々が、互いの文化的違いを認め合い、対等な関係を築きながら、地域社会の一員として共に生きること」と定義されています。この定義は、2006年に総務省が発表した「多文化共生の推進に関する研究会 報告書 ~地域における多文化共生の推進に向けて~」に記載されている内容に基づいています。その研究会で議論を可能にする目的で地域における多文化共生を定義づけたに過ぎませんが、そのまま広く浸透してしまい、今に至っています。

 

この定義には「曖昧・時代遅れ・場違い」と言える要素が多く含まれています。その表現が抽象的すぎて具体的なイメージを抱きづらくなっており、「曖昧」。また、定義が発表されたのは約20年前のことで、当時の状況に基づいているため、現代の日本の多文化共生に適用するには「時代遅れ」。さらに、「地域」に焦点を当てた定義であり、日本全体における多文化共生を考慮していない点で「場違い」となっています。

 

なぜこの定義が広く使われているのか

 

その理由は、いわゆる「赤信号みんなで渡れば怖くない」のような集団心理によるものと言えるでしょう。「赤信号みんなで渡れば怖くない」は、1980年代のお笑いコンビ「ツービート」が漫才で披露したネタから生まれた言葉で集団心理をよく表しています。総務省という「権威ある集団」が定めた定義であるため、疑問を持たずに受け入れられてきたという背景があると言えます。

 

日本において「多文化共生」という言葉が使われ始めたのは1990年代半ば頃からですが、2006年の総務省の報告書がきっかけとなり、本格的に議論されるようになりました。それ以降、多くの施策や補助金が導入されましたが、既存の国際交流団体や人権団体が従来の活動を続ける形で利用されてきました。結果として、多文化共生の実現を目指すのではなく、現状の「永遠に続く多文化共生推進活動」に繋がってしまっています。

 

日本における多文化共生社会の実現につながるヒント

 

日本における多文化共生社会の実現は、日本における新車の開発に良く似ています

 

ここで「日本における」という言葉が重要になります。例えば、アメリカやヨーロッパ、日本などで求められる車両が異なるだけでなく、取り締まる法律や道路、トンネルの大きさなど、あらゆる要素が異なります。したがって、「場所の指定が非常に重要」になります。

 

次に「新車」という言葉ですが、開発(多文化共生における開発は、実現に相当します)ができるかどうかのカギを握ります。

 

本来、新しい車を開発するには、まず調査を行い、そのデータを基に企画を練り、デザインや設計を行い、試作・実験を経て生産へと至ります。

 

ここで、調査を行わなくても売れるかどうかが賭けになるだけで、企画を練ることができるため、車が作れないわけではありません。しかし、問題はデザインと設計になります。具体的なイメージが無ければ「どんな車を作ろうとしているのか」が決まらず、それ以降の工程が進まず、永遠に「どんな車かはっきり分かりませんが、車は作っている」状態になってしまいます。もちろん、どんな車かはっきり分からない事を隠し、車を作っているとだけ伝え続けることは可能になります。しかし、認めるかどうかに関係なく、最終的には車体の種類、サイズ、エンジンの大きさ、排気量、燃料の種類など、デザインを「絶対に」決めなければなりません。

 

この例えで日本において、現在、進められている「多文化共生推進業務」には、似たような問題が起きていることが確認できます。

 

問題を解決するためには、まず「多文化共生」という言葉の意味を具体的に定義し、実現すべき場所や目標を明確にする必要があります。その上で、持続可能な施策や政策を策定し、日本全体の利益を考慮した形で進めていくことが求められます。

 

日本における多文化共生は、単に異なる文化を持つ人々が共存することに留まらず、社会全体の利益を考えた合理的なアプローチが必要になります。しかし、その社会全体の約98%が日本人で構成されているという現実を忘れてはいけません。加えて、日本人は選挙権を持ち、外国人は持たないため、最初から数的にも待遇的にも平等ではない立場から始まっていることを考慮しなければなりません。感情的なアプローチではなく、論理的な思考と具体的な行動に基づいて進めなければ、「日本における多文化共生社会は、絶対に実現されません」。

日本における外国人住民の増加と日本人人口の減少

 

近年、日本の外国人住民の数が急増し続け、令和2年国勢調査の結果によると日本人の人口は、1億2339万9千人(総人口の97.8%)で外国人の人口は、274万7千人(2.2%)となっています。日本の外国人人口が増える一方で日本人人口が減り続いています。

 

日本統計2021の内容を確認すると日本人人口は、「2019年(令和元年)約1億2616万7千人」、「2018年(平成30年)約1億2644万3千人」、「2017年(平成29年)約1億2670万6千人」となっており、年間約26万人の減少傾向である事が分かります。逆に外国人人口は、「2019年(令和元年)293万3千137人」、「2018年(平成30年)273万1千93人」、「2017年(平成29年)256万1千848人」となっており、年間約18万人の増加傾向である事が見受けられる。

 

再び令和2年国勢調査の結果によると都道府県において外国人の人口は、東京都(56万4千人)が最も多く、次いで愛知県(25万9千人)、大阪府(24万2千人)、神奈川県(23万1千人)、埼玉県(18万6千人)などとなっており、これらの5都府県に住む外国人人口が日本国の約半数(53.9%)を占めています。

 

しかし、外国人の比率で考えた時に状況が一転し、各区市町村の外国人比率がその結果の理由を物語っています。例えば、大阪市生野区令和3年3月末日現在住民基本台帳人口・外国人人口によると総人口12万6千930人に対して2万7千460人(約21.6%)外国人人口(内、2万397人は、韓国・朝鮮)に当たます。別の例として南佐久郡川上村発行の平成27年10月川上村人口ビジョンによると平成17年から平成22年にかけて平成15年度から受け入れしている外国人実習生の影響で人口が増加傾向にありました。平成27年現在の日本人人口が約4千人ですが、年間700人~800人の外国人実習生を受け入れている為、外国人の比率が約19%に相当します。もう一つの例として小泉町ホームページ内の令和3年3月31日付で公開されている令和3年外国人人口表によると総人口4万1千770人に対して7千918人(約18.96%)外国人人口(内、4千595人は、ブラジル)に当たります。こうして、各区市町村に住む外国人は、その区市町村の自情に合わせて構成されており、人数と比率で大きな違いの要因となっています。

 

また、外国人に直接的に関係する、効力が法律同等で題名の末尾が「法」ではあるけれど「法律」ではない政令、出入国管理及び難民認定法が上記の背景の主な要因と言えます。

 

出入国管理及び難民認定法は、1951年(昭和26年)10月4日に公布、同年11月1日に施行されたポツダム命令の一つとして、初めは出入国管理令だったが日本国の難民条約・難民議定書への加入に伴い1982年(昭和57年)1月1日に題名が現在のものに改められ、「法律の効力をもつポツダム命令」という特殊な状態を、それまでの略称「入管令・出管令」から、より実情に近い「入管法・入管難民法」という略称で表すことができるようになり、難民を称する者が条約・議定書上の難民に該当するか否かの認定業務を、法務省入国管理局が担当することとなりました。

 

出入国管理及び難民認定法を取り巻く状況タイムライン

 

1990年(平成2年)の改正により、「定住者」の在留資格が創設されました。この改正に伴い、日系3世まで(一部の例外を除く)に就労可能な地位が与えられ、主にブラジルやペルーなどの日系人の入国が容易になりました。その結果、日本における外国人数は急激に増加し、1990年(平成2年)の約100万人から、2005年(平成17年)には約200万人に達しました。

 

2005年(平成17年)6月、総務省は、外国人が増え続ける状況を踏まえ、現行の国の各種制度が外国人受け入れに関する課題に十分対応していないことを指摘しました。さらに、住民サービスの直接の提供主体である地方自治体が様々な問題に直面していることが明らかとなり、現在、製造業などが盛んな地域における集住が顕著になっています。また、今後、日本は人口減少時代を迎え、経済のグローバル化によって人の国際移動がさらに活発化することを考慮すると、外国人住民にかかわる課題は、近い将来において全国の地方自治体に共通のものとなることが予想されるとされました。これらを背景に、多文化共生の推進に関する研究会が設置され、2006年(平成18年)3月に「多文化共生の推進に関する研究会 報告書 ~地域における多文化共生の推進に向けて~」が発表されました。報告書では、地域における多文化共生推進の必要性を検討するためとして、次の通りの記載がされています。

 

「外国人の定住化が進む現在、外国人を観光客や一時的滞在者としてのみならず、 生活者・地域住民として認識する視点が日本社会には求められており、外国人住民 への支援を総合的に行うと同時に、地域社会の構成員として社会参画を促す仕組みを構築することが重要である。すなわち、従来の外国人支援の視点を超えて、新しい地域社会のあり方として、国籍や民族のちがいを超えた『多文化共生の地域づくり』を進める必要性が増しているのである。前述のように、今後、日本の総人口は急速に減少していくことが予想される。グローバル化の進展により、人の国際移動がますます活発になる中で、社会の活力を維持するためには、外国人を含めた全ての人が能力を最大限に発揮できるような社会づくりが不可欠であり、地域において多文化共生を推進する必要性はより一層高まることとなろう。 そこで、本研究会においては、地域における多文化共生を『国籍や民族などの異なる人々が、互いの文化的ちがいを認め合い、対等な関係を築こうとしながら、地域社会の構成員として共に生きていくこと』と定義し、その推進について検討を行った。なお、この定義からもわかるとおり、多文化共生を推進していくためには、日本人住民も外国人住民も共に地域社会を支える主体であるという認識をもつことが大切である。」

 

この報告書を受け、政府機関や地方自治体は、多文化共生の定義をそのまま取り入れ、政策や施策の基盤としました。

 

ところが、多文化共生という言葉自体に意味があることを忘れてはいけません。多文化共生とは、単に異なる文化が共に生きることを指し、場所を指定することによって初めて、具体的な内容で定義を定めることができるのです。この点を前提に考えると、「多文化共生の推進に関する研究会報告書」では、(地域)という曖昧な場所の指定があります。敢えて曖昧な場所を指定した意図は、国として、各自治体が抱える事情に合わせて目指すべき多文化共生の方向性を示すためであると考えられます。それによって、「地域」という曖昧な場所を各自治体が具体的に指定することとなります。しかし、多文化共生の推進に関する研究会が多文化共生の定義を考える段階では、地域を日本全体として捉えるべきだったのではないかと感じます。

 

しかし、「地域」という曖昧な場所を指定することで、現実性を無視し、多文化共生に関して誤った認識を促してしまいました。その結果、多文化共生とは言えず、強く平等性を訴える多文化主義的な定義になってしまいました。

 

2006年(平成18年)3月27日付で、総務省は「地域における多文化共生推進プラン」を発表しました。このプランの内容は、次の通りになります。

 

「1.地域における多文化共生の意義

地域における多文化共生の意義を例示すれば次のようなものがあるが、指針・計画(以下、「指針等」という。)においては、各地域における多文化共生施策の経緯及び現状を整理し、課題及び将来の方向性を含め、各地域における多文化共生の意義を明確にすること。

 

(1) 外国人住民の受入れ主体としての地域

入国した外国人の地域社会への受入れ主体として、行政サービスを提供する役割を担うのは主として地方公共団体であり、多文化共生施策の担い手として果たす役割は大きいこと。

 

(2) 外国人住民の人権保障

地方公共団体が多文化共生施策を推進することは、「国際人権規約」、 「人種差別撤廃条約」等における外国人の人権尊重の趣旨に合致すること。

 

(3) 地域の活性化

世界に開かれた地域社会づくりを推進することによって、地域社会の活性化がもたらされ、地域産業・経済の振興につながるものであること。

 

(4) 住民の異文化理解力の向上

多文化共生のまちづくりを進めることで、地域住民の異文化理解力の向上や異文化コミュニケーション力に秀でた若い世代の育成を図ることが可能となること。

 

(5) ユニバーサルデザインのまちづくり

国籍や民族などの異なる人々が、互いの文化的差異を認め合い、対等な関係を築こうとしながら、地域社会の構成員として共に生きていくような地域づくりの推進は、ユニバーサルデザインの視点からのまちづくりを推進するものであること。

 

2.地域における多文化共生施策の基本的考え方

地域における多文化共生施策の基本的考え方には次のようなものがあるが、指針等においては、地域の特性、住民の理解、外国人住民の実情・ニーズ等を踏まえ、地域に必要な多文化共生施策の基本的な考え方を明確に示すこと。その際には、特に日本語によるコミュニケーション能力を十分に有しない外国人住民に配慮すること。

 

(1) コミュニケーション支援

特にニューカマーの中には日本語を理解できない人もおり、日本語によるコミュニケーションが困難なことによる様々な問題が生じているため、外国人住民へのコミュニケーションの支援を行うこと。

 

(2) 生活支援

外国人住民が地域において生活する上で必要となる基本的な環境が十分に整っていないことが問題としてあげられるため、生活全般にわたっての支援策を行うこと。

 

(3) 多文化共生の地域づくり

外国人住民が地域社会での交流機会が不足し孤立しがちであることや、地域社会において日本人住民と外国人住民との間に軋轢が生じることも少なくないため、地域社会全体の意識啓発や外国人住民の自立を促進する地域づくりを行うこと。

 

(4) 多文化共生施策の推進体制の整備

(1)~(3)の施策を遂行するための体制整備を図るとともに、県、市町村、地域国際化協会、国際交流協会、NPO、NGO、その他の民間団体の役割分担を明確化し、各主体の連携・協働を図ること。」

 

ここで注目すべき点は、「地域における多文化共生施策の基本的考え方」の中にある(3)「多文化共生の地域づくり」です。今後、総務省から発表される各種多文化共生事例集では、多文化共生の意味に関する認識違いが目立つことになります。さらに、これまでの内容からも分かるように、地域における多文化共生の意義には、外国人への支援、外国人の人権保障、平等性などに関する内容が他の内容より具体的に記載されており、これが地域における多文化共生の意義の主軸となっています。つまり、何をどこまで行うべきかを具体的に決めないため、意義としての非現実性に気付きにくくなっています

 

2008年(平成20年)、世界規模の金融危機であるリーマン・ショックが発生しました。2009年(平成21年)から2012年(平成24年)にかけては、2011年(平成23年)の東日本大震災の影響もあり、日本の外国人の数が減少しました。この期間、定住者は主にブラジルやペルーから、特別永住者は主に韓国や朝鮮から来ていたものの、その後、2013年(平成25年)から再び外国人の数が増加し、以降は年々増加し続けています。

 

2009年(平成21年)の通常国会において、「出入国管理及び難民認定法及び日本国との平和条約に基づき日本の国籍を離脱した者等の出入国管理に関する特例法の一部を改正する等の法律」(以下「改正法」という。)が可決・成立し、平成21年7月15日に公布されました。改正法では、新たな在留管理制度の導入をはじめ、在留カードの交付、特別永住者証明書の交付、研修・技能実習制度の見直し、在留資格「留学」と「就学」の一本化、入国者収容所等視察委員会の設置などが盛り込まれています。また、これに伴い、外国人登録制度が廃止されました。

 

2012年(平成24年)7月9日から、新しい在留管理制度が始まりました。この制度の導入により、「在留カード」が交付され、在留期間が最長5年に延長されました。また、外国人登録制度は廃止され、再入国許可の制度にも変更が加えられました。

 

2016年(平成28年)2月、総務省は「地域における多文化共生推進プラン」の策定・通知から10年を迎えることを受け、地方自治体における多文化共生施策の指針・計画の策定に参考となる考え方を示しました。これにより、地域における多文化共生施策の更なる推進に資するため、「多文化共生事例集作成ワーキンググループ」が開催され、2017年(平成29年)3月には「多文化共生事例集~多文化共生推進プランから10年 共に拓く地域の未来~」が発表されました。この事例集を通じて、地方自治体や関わる各団体が多文化共生をどのように認識しているかを確認することができます

 

事例集:

1 コミュニケーション支援(9事例)

(1) 多言語・「やさしい日本語」による情報提供(6事例)、(2) 大人の日本語学習支援(3事例)

 

2 生活支援(28事例)

(1) 居住(2事例)、(2) 教育(10事例)、(3) 労働環境(4事例)、(4) 医療・保健・福祉(6事例)、(5) 防災(6事例)

 

3 多文化共生の地域づくり(9事例)

(1) 地域社会における多文化共生の啓発(4事例)、(2) 外国人住民の自立と社会参画(3事例)、(3) 多文化共生に関わる体制づくり(2事例)

 

4 地域活性化やグローバル化への貢献(6事例)

(1) 地域活性化への貢献(3事例)、(2) グローバル化への貢献(3事例)

 

(全52事例)

 

前述のように、「地域」という曖昧な場所の指定や、外国人への支援、外国人の人権保障、平等性などの内容への偏りが見られることに加え、多文化共生に最も関わりがあるその他の内容が具体化されていないため、最終的には「実現」ではなく「推進」という言葉にすり替えられ、結果的に「やっていれば良いだけの事例集」となっています。

 

その内訳は、主に支援と国際交流に集中しており、惜しくも広島県国際課は、多文化共生に関する研修を区市町村担当職員向けに行いましたが、内容を確認すると外国人への対応における支援に特化しており、結局は支援にとどまっています。地方自治体職員が多文化共生に関する研修を受けるべき理由は、区市町村民に多文化共生に関する理解を促すためには、まず自分たちが理解していなければならないからです。そのため、この研修は必須かつ重要です。ただし、多文化共生の実現には、多文化が関わるすべての部署、つまり全ての部署の全職員が研修を受け、理解しなければ無意味と言えるでしょう。

 

外国人が完全に接点を持たない区・市・町・村役場の課や係について考えてみましょう。外国人の事態に少し詳しい者なら、選挙課など(外国人には選挙権が保障されていない)を挙げるかもしれませんが、選挙権がないからといって、その課に用がないわけではありません。権利がなくとも、外国人はその権利に関する情報を知りたい、または自分がその権利を有しない理由を確認したいと考えることがあります。そのため、多文化共生は一つの部署が行う事業で実現するものではなく、あらゆる部署が提供する制度を多文化に対応できるようにすることで初めて実現します。つまり、日本における多文化共生は、各地域における多文化共生の実現を通じて実現されるのです。そして、各地域における多文化共生の実現は、それぞれの地方自治体における多文化共生の実現によって達成されます

 

日本における多文化共生が実現するためには、日本総人口の約98%を占める日本人の意識・認識の改革が必要ですが、さらに重要なのは、各種多文化共生推進施策の計画を立案し、実行する地方自治体職員の意識・認識を改革することです。それは、まるで自信を持たずに扱っている商品を売っている営業者の売上が悪い理由のようなものです。多文化共生について十分に理解しておらず、その実現の必要性を認めていない、また多文化共生の実現を心から望んでいない地方自治体職員が、どうしてその実現に貢献できるのでしょうか。

 

他の事例集に挙げられている「多文化共生の地域づくり」や「地域活性化」、「グローバル化への貢献」といった題名には問題はないものの、実際に行われた事業内容やその実施方法には問題があると見受けられます。題名が変わっても、挙げられている事例は支援、国際交流、観光のみであり、これらが多文化共生と全く関係ないわけではありません。問題は、事業内容が具体化に欠けており、その結果として事業の程度や規模が不十分であることです。これらの三つの内容においては、永遠に実施し続けるだけで良いとされ、具体的な成果が求められないため、やりやすい多文化共生推進事業にとどまっています

 

なお、平等性や外国人への支援を行うことが間違っているわけではありません。むしろ、それが外国人を助けることにつながる場合もあります。しかし、重要なのは、多文化共生社会の実現と直接的な関係がないことを理解することです。簡単に言えば、多文化共生はイコール支援、国際交流、観光ではありません。

 

2016年(平成28年)11月18日、第192回臨時国会において「出入国管理及び難民認定法の一部を改正する法律」が成立し、同月28日に公布されました(平成28年法律第88号)。この改正法の主な内容は、介護福祉士の資格を有する外国人が介護業務に従事するための在留資格の新設と、いわゆる偽装滞在者の問題に対応するために罰則の整備および在留資格取消制度の強化になります。

 

2018年(平成30年)12月8日、第197回国会(臨時会)において「出入国管理及び難民認定法及び法務省設置法の一部を改正する法律」が成立し、同月14日に公布されました(平成30年法律第102号)。この改正法の主な内容は、在留資格「特定技能1号」「特定技能2号」の創設と、出入国在留管理庁の設置などになります。

 

2020年(令和2年)9月、総務省は「地域における多文化共生推進プラン」を改訂しました。その改訂内容は以下の通りになります。

 

「社会経済情勢の変化等を踏まえた地域における課題

地域における多文化共生の推進に当たって、次のような課題がある。

 

①コミュニケーション支援

・外国人住民の国籍が多様化する中、地域における外国人住民等の人数や国籍等の状況に応じて、希少言語ややさしい日本語を含めて多言語対応が必要である。

 

・多言語翻訳技術の高度化と社会実装が進んでいる中、スマートフォンのアプリをはじめICTを積極的に活用し、多言語対応を図ることが必要である。

 

・増加を続ける外国人住民が日常生活及び社会生活を地域住民と共に円滑に営むことができる環境の整備を図るため、日本語教育を推進することが必要である。

 

②生活支援

・外国人住民の増加に伴い、日本語指導が必要な児童生徒が増加する中、外国人の子供の就学促進や教育環境の整備が必要である。

 

・激甚化する気象災害をはじめとする災害、新型コロナウイルス感染症等に備えた外国人対応を進めることが必要である。

 

・外国人住民の増加に伴い、医療・保健サービス、子ども・子育て及び福祉サービスについて、多言語対応を図ることが必要である。

 

・新たな在留資格創設に伴う外国人材の受入れ環境を整備するとともに、大都市圏その他特定地域への集中防止策を講じることが必要である。

 

③意識啓発と社会参画支援

・「本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組の推進に関する法律」(平成 28 年法律第 58 号)の制定も踏まえて、本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けて、相談体制の整備、教育の充実等及び啓発活動等に努めることが必要である。

 

・ポストコロナ時代の誰ひとり取り残されることない「新たな日常」を見据えて、多様性と包摂性のある社会の実現に向けて、地域社会やコミュニティ等において必要となる人の交流やつながり、助け合いを充実するための環境を整備することが必要である。

 

・身分に基づく在留資格を持つ者や留学生といった中長期的な在留展望を持つ外国人住民が増えていること、外国人住民の年齢構成が若いこと等を踏まえ、地域社会において、外国人住民がその担い手となる取組を推進することが必要である。

 

④地域活性化の推進やグローバル化への対応

・人口減少・少子高齢化が急速に進展する中、地域の活性化を通じて、持続可能な地域づくりを推進するため、外国人住民と連携・協働を図ることが必要である。

 

・急速に進展するグローバル化に対応し、その恩恵を地域にもたらすため、外国人住民の知見やノウハウの活用を図ることが必要である。

 

地域において多文化共生施策を推進する意義

地域における多文化共生を推進することは、「外国人住民の受入れ主体としての地域」「外国人住民の人権保障」「地域の活性化」「住民の異文化理解力の向上」等の意義を有しているとともに、特に、次の点から今日的な意義を有しており、重要性が増している。

 

(1)多様性と包摂性のある社会の実現による「新たな日常」の構築

全ての外国人住民を孤立させることなく、地域社会を構成する一員として受け入れていくという視点に立ち、日本人と同様に行政サービスを享受し安「国籍や民族などの異なる人々が、互いの文化的ちがいを認め合い、対等な関係を築こうとしながら、地域社会の構成員として共に生きていくこと」(「多文化共生の推進に関する研究会報告書」(平成 18 年3月))。心して生活することができる環境を整備していくことが必要である。外国人住民も含めて、地域社会やコミュニティ等において必要となる人の交流やつながり、助け合いを促す環境を整備し、多様性と包摂性のある社会を実現することで、ポストコロナ時代の誰ひとり取り残されることない「新たな日常」の構築につながることも期待される。また、持続可能で多様性と包摂性のある社会の実現のための国際目標を定めた「持続可能な開発目標」(SDGs)においても、包摂性を示す「誰ひとり取り残さない」とのキーワードは、分野を問わず求められる基本的理念とされている。

 

(2)外国人住民による地域の活性化やグローバル化への貢献

外国人住民が、主体的に、自らの強みや外国人独自の視点を活かして、地域の魅力に係る情報発信、地域産品を活用した起業、地域の観光資源を活用したインバウンド観光の受入れ等の担い手となる事例や人材が現れつつあり、こうした外国人住民との連携・協働を図ることで、地域の活性化やグロ ーバル化に貢献することが期待される。

 

(3)地域社会への外国人住民の積極的な参画と多様な担い手の確保

在留期間が無期限の「永住者」の人数が年々増加し、在留外国人全体の約3割を占めるなど、緩やかな定住化の傾向が見られること、外国人住民の年齢構成が若いこと等を背景に、外国人住民が、外国人コミュニティや人口減少・少子高齢化が進む地域を支えている事例が現れつつあり、今後の地域社会を支える担い手となることが期待される。また、外国人住民が多文化共生施策の推進に関与することにより、外国人住民のニーズを的確に捉えて、多文化共生施策の質の向上を図ることも期待される。

 

(4)受入れ環境の整備による都市部に集中しないかたちでの外国人材受入れの実現

外国人労働者が増加するとともに、今後、特定技能外国人の円滑かつ適正な受入れも進む見通しである。こうした中、外国人住民が地域においても十分な行政サービスを受けられる体制を整備するとともに、国や企業をはじめとする関係機関と連携して就業支援や就業環境そして生活環境の整備を行うなど、地域における多文化共生施策を推進することにより、都市部に集中しないかたちでの外国人材の受入れ環境を整備することが必要である。」

 

これまでの多文化共生推進事業に関わる地方自治体や団体、その他の関係者の中には、「多文化共生」とは何かを正確に理解する者がほとんどおらず、単に外国人に関連する施策として、国際協力や国際交流と一括りにされてきました。本来、多文化共生は場所を指定することで国際化管理政策としての役割を持つはずでしたが、「国際人権規約」や「人種差別撤廃条約」への配慮が過剰になり、多文化共生が「多文化共生主義」と同義のように捉えられ、結果的に外国人への支援に特化した施策となってしまいました。

 

しかし、外国人の自立は支援によって実現されるものではなく、主に日本人で構築されている地域社会の支えによって達成されるものです。ところが、現在の地域社会は外国人を支える理由を誤解しています。「人権があるから」「外国人は可哀そうだから支援する」という感覚が根付いており、その結果、「支援してあげたい人だけが支援を行う」という状況を生んでいます。

 

本来、日本人が外国籍住民を支えることは「自分たちの利益にもつながる」という意識を持つことが重要です。この理解を深めることで、多文化共生が特定の人々の善意に依存するものではなく、社会全体の利益となることが認識され、多くの人々が積極的に参画できるようになります。

 

多文化共生の実現の妨げになりうる言語支援

 

日本国内において、日本語が堪能ではない外国人が全体の大半を占めています。日常会話程度が話せる外国人は少数派であり、ほんの一部の外国人が日本語を堪能であると言える現状です。そこで、それぞれのグループの共通点について予測すると、日本語能力の向上に深く関わっているのは支援であると考えられます。

 

日本語が日常会話程度話せる外国人や、日本語が堪能な外国人が言語支援をあまり受けていない、または全く受けていない傾向にあります。逆に、日本語が堪能ではない外国人は、語支援を多少受けている、ある程度受けている、あるいは多く受けている人が大半である傾向があります。言語支援は、その場面での助けにはなりますが、言語能力の向上による自立意欲を抑えてしまう傾向があるためと言えます。

 

約20年前、外国人が増え続ける状況の中、現行の国の各種制度は外国人受け入れに関する課題に十分対応していませんでした。住民サービスの直接的な提供主体である地方自治体は様々な問題に直面しています。現在、製造業等が盛んな地域における外国人の集住が顕著となっていますが、今後、日本は人口減少時代を迎え、さらに経済のグローバル化によって人の国際移動が活発化すること等を勘案すると、外国人住民にかかわる課題は近い将来、全国の地方自治体に共通のものとなることが予想されます。

 

そのため、総務省が設置した多文化共生の推進に関する研究会が議題を進めるにあたって、当時の知識と状況をもとに地域における多文化共生の定義を決定しましたが、その後、大きな変更は行われていません。

 

外国人の事情や状況のみならず、日本社会全体の事態が当時と完全に異なっている中で、改めて「多文化共生」とは何か、そしてそれを「実現」するために何が必要かを考え直し、具体的に計画を立てることが望ましい。

 

現在の多文化共生とは?

 

現代において、言葉の意味のみならず、何でもインターネットで調べることが一般的となっています。すなわち、大半の日本国民にとってインターネットは、生活にかかわるすべての情報源と言えるでしょう。病気や言葉の意味、人物や場所の歴史など、実際にはあまり信頼してよいものではない情報も多く含まれていますが、多くの人にとってインターネットから得る内容こそが真実となっている現実は否定できません。そんな中、インターネットで「多文化共生とは」を検索してみると、主に二つの内容がヒットします。

 

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

多文化主義(たぶんかしゅぎ、英: multiculturalism)とは、異なる文化を持つ集団が存在する社会において、それぞれの集団が「対等な立場で」扱われるべきだという考え方、または政策である。

 

多文化共生:様々な地方自治体、団体、省庁などいくつか。(最もヒットする内容)

多文化共生とは、「国籍や民族などの異なる人々が、互いの文化的違いを認め合い、対等な関係を築こうとしながら、地域社会の構成員として共に生きていくこと」である。

 

最もヒットする内容は、2006年(平成18年)3月付で総務省が発表した「多文化共生の推進に関する研究会 報告書 ~地域における多文化共生の推進に向けて~」の中にある総論第5、地域における多文化共生推進の必要性に記載されている内容であり、限られた観点を持つ者たちの話し合いの中で約20年も前に定められた地域における多文化共生の定義であって、必ずしも多文化共生の定義そのものではありません。

 

多文化共生とは、単に数多くの異なる文化が共に生きることであり、それ自体はそれほど難しいことではありません。しかし、場所を指定することによって、様々な意味合いを持つ文書ともなり得ます。そもそも、多文化共生を外国人と日本人の場合のみで利用すること自体が誤りであり、日本人の中で生じる地域ごとの文化も多文化の対象であると考えなければなりません。

 

先ほど申し上げたように、多文化共生には場所を指定する必要があります。指定する場所によって当てはまる形の多文化共生があるためです。例えば、どの国の領土ともしない島や無主地に、世界規模の多文化共生計画として、世界中から国籍の異なる人々を(人数・年齢別・性別・その他の偏りを全て無くした状態を絶対条件とする)送り込む場合、「無主地における多文化共生」を考えようとした際に、特定の国籍の人が有利となる条件を定めることはできません。よって、その場合は、多文化主義を基準とした多文化共生計画が必要となると言えます。

 

さらに、人数・年齢別・性別・その他に偏りが生じ始めると、その多文化共生が適用できなくなるため、その条件に適した国際化管理政策が必要になります。具体的には、偏りを生み出さないための政策が求められます。

 

ところが、日本における多文化共生においては日本国であり、無主地ではありません。人数・年齢別・性別・その他の偏りは、途轍もなく存在しています。日本国の原住民は日本人であり、日本人は日本総人口の約98%を占めており、残りの僅かな約2%が外国人です。国籍別に分けてしまえば、数字で表しづらい国籍もある中で、日本において最初から日本人と外国人が対等な立場にないと言えます。それは、悲しい現実ではなく、単なる事実であり、当たり前のことになります。

 

場所を日本からアメリカやブラジル、どの国に変えても同じ現象が起きます。それ自体が社会であり、最初から対等な関係にない日本人と外国人が対等な関係を築こうとする行為は、社会の本質に逆らう行為であり、立場的に違いがある上に対等な関係ではないという事実を受け入れながら、お互いにリスペクト(尊敬)し合う関係を築いていくことこそが現実的な多文化共生の推進であると言えます。

 

なお、日本における多文化共生の実現政策には、人権を含める必要はありません。なぜなら、多文化共生は人権が守られている前提で進むべき計画であるからです。人権が守られていない場合、それは人権問題であり、多文化共生問題ではありません。

 

それを踏まえ、言えることは、現時点で日本に定着している多文化共生の定義が「地域」という曖昧な場所を指定していることで、これは日本における多文化共生ではなく、どこか分からない場所の地域における多文化共生であり、実質的には多文化主義の定義を少しだけ変えたものに過ぎません。このため、非現実的で実現不可能な政策になっていると言えるでしょう。

 

多文化共生のあるべき姿とは?

 

多文化共生を多文化主義と同じにするならば、多文化共生ではなく、そもそも多文化主義として推進すべきです。しかし、それは多文化共生ではないため、「多文化共生推進」などという題名ではなく、「多文化主義政策」などという題名にすべきであると考えます。

 

本来、多文化共生のあるべき姿は、(以下は本来の多文化共生とする)日本で行うことを前提に考えれば、「日本における多文化共生」でなければなりません。つまり、日本や日本国民を第一に考える政策でありつつ、外国人にとっても悪くないもの(人権保障をしなければならないため)でなければならないのです。簡単に言えば、外国人を虐げてはいけませんが、贔屓にするのもいけないということです。

 

なぜなら、多文化共生が実現するためには、日本国民全体が多文化共生に参加するのではなく、参画する必要があるからです。日本総人口の約98%を占める日本人が喜ぶ形にする事が最低条件になります。

 

ただし、重要なことを述べなければなりません。多文化共生政策には、正解・不正解があるわけではないのです。現在、日本で進められている多文化共生推進事業も、非現実的で実現不可能な形ではあるが、多文化共生推進事業であることは変わりません。どんな形であれ、推進だけを望んでいる段階では、「多文化共生推進事業だ」と言えば、そうであると認めざるを得ないのです。

 

ここで使う「多文化共生のあるべき姿・本来の多文化共生」には、実現を目的とした前提が込められています。即ち、これから本計画にて語られる日本における多文化共生社会実現計画は、唯一無二の多文化共生社会実現計画ではなく、実現可能かつ持続可能な計画であると理解していただきたい。

 

さて、多文化共生、即ち、日本における多文化共生とは何かを検討するためには、考えるべきキーワードが「グローバル化」と「国際化」である。しかし、多文化共生とは何かを検討するにあたって、グローバル化や国際化として定着している意味ではなく、多文化共生に合った観点で考える必要があります。

 

インターネットでグローバル化や国際化とは何かを調べてみると次の内容が結果として出ます。

 

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

グローバリゼーション(英: globalization, globalisation)とは、社会的あるいは経済的な関連が、旧来の国家や地域などの境界を越えて、地球規模に拡大して様々な変化を引き起こす現象である。グローバライゼーション、グローバル化、世界化、地球規模化などとも呼ばれる。他動詞にする場合にはグローバライズする(英:globalize)という。「グローバリゼーション」という言葉は、様々な社会的、文化的、経済的活動において用いられる。使われる文脈によって、例えば世界の異なる地域での産業を構成する要素間の関係が増えている事態(産業の地球規模化)など、世界の異なる部分間の緊密な繋がり(世界の地球規模化)を意味する場合もある。「グローバル」と「インターナショナル」、「グローバリゼーション」と「インターナショナリゼーション(国際化)」という語は、意味する範囲が異なる。「インターナショナリゼーション」は「国家間」で生じる現象であるのに対して、「グローバリゼーション」は「地球規模」で生じるものであり、国境の存在の有無という点で区別される。具体的に言えば、世界地図を見て国境を意識しながら国家間の問題を考えれば、「インターナショナル」な問題を考えている事になる。対して、地球儀を見ながら地球全体の問題を考えれば「グローバル」な問題を考えている事になる。即ち、「グローバリゼーション」の方が「インターナショナリゼーション」よりも範囲は広くなる。

 

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

国際化(こくさいか、英語:Internationalization)とは、複数の国家が相互に結びつきを強め、相互に共同して行動をするなど、互いに経済的、文化的に影響をあたえあう事象全般をさし、国際化社会とは、国際化の進展している社会をさす。国際化が国家間に生まれる概念であり、その基本的単位はあくまでも主権国家であるのに対し、グローバリゼーションは「世界」を一体的なシステムと考え、主権国家を必ずしも前提としていない点が異なる。つまり、国際化社会においては国境の役割は依然大きく、たとえばヒトやモノが国境を通過することは監視すべきものとされるが、グローバリゼーションにおいては、そもそも文物の国境通過は必ずしも監督すべき事項ではなく、そこにおいて秘匿性を保持することが、前提となる価値観の一つとして重要視されるのである。

 

ところが、前述のように多文化共生とは何かを検討するにあたって、グローバル化や国際化として定着している意味ではなく、多文化共生に合った観点で考える必要があるため、新たな視点で検討してみましょう。

 

多文化共生の実現にあったグローバル化・国際化の意味

 

グローバル化は、「文明の進化に伴って、もうはや止める事の出来ない現象である。世界各国の間で(人・情報・技術・製品・文化・言語・等々)が行き来する或いは、行き来出来る状況が整っている事である。」とします。

 

国際化は、「グローバル化が進んだ事により引き起こされる結果全てである。尚、引き起こされる結果の種類は、2種類に限る。その国、即ち、その国民にとって好影響であるか、悪影響であるか。止められない現象であるグローバル化が進んだ事による結果である為、その国が鎖国しない限りは国際化もまた止められない現象である。尚、その国が鎖国してもその国の国際化が止められる保障がない。」とします。

 

従って本来の多文化共生(日本における多文化共生)とは、「グローバル化という止められない現象が引き起こす結果である国際化の好影響を好影響として保ち、悪影響を好影響に変える為の計画、即ち、日本総人口の約98%を占める日本人の利益を目的とする日本における多文化共生施策・政策である」ことになります。

 

尚、日本における多文化共生が実現されるためには、日本人を第一とする日本における多文化共生施策・政策が必要です。さらに、日本人がそれに参画する必要があり、その必要性を生み出せるために、日本における多文化共生の実現を目的とする各種事業を進める各自治体職員が、日本における多文化共生が実現する必要性を認め、理解し、心より各種事業に取り組む必要があります。

 

最後に、日本における多文化共生の実現に関わっている各自治体職員は、多文化共生と関係のない課や係がないため、「全員」であると言えます。

 

また、場所を指定する際、より限定的な地域を指定する場合においても、○○都・○○道・○○府・○○県、○○区・○○市・○○町・○○村と具体的に指定することによって、本来の多文化共生の意味に影響がなく、それを実現するために事業内容に多少の変化が生じるのみになります。

 

そこで、日本における多文化共生の実現に向けた計画において最も重要なことは、次の通りとなります。

 

  • 正しい推進体制と役割分担が必要である。

  • 多言語専門家の確保は、最優先事項である。

  • 多文化共生事業は、民営化すべきである。

  • 対象者は、外国人ではなく、日本人である。

  • 日本人の意識・認識・認知による必要性を待つのではなく、作る必要がある。

  • JETプログラム(ALT・CIR・SEA)は、多文化共生の実現を目的とした事業ではない。

  • 国際協力事業は、多文化共生の実現を目的とした事業ではない。

  • 国際交流事業は、多文化共生の実現を目的とした事業ではない。

  • 外国人に対する生活支援は、多文化共生の実現を目的とした事業ではない。

  • 日本語学習支援は、多文化共生の実現を目的とした事業ではない。

  • 医療通訳やコミュニケーション支援は、多文化共生の実現を目的とした事業ではない。

現在の外国人を対象とする防災体制は、多文化共生の実現を目的とした事業ではない。

正しい推進体制と役割分担

推進体制と役割分担を考えるにあたり、視点によって観点が大きく異なることを理解する必要があります。その検討を進めるためには、視点ごとに具体的な観点を確認することが重要です。以下は、長野県が県内における多文化共生の推進に向けた指針として策定した「長野県多文化共生推進指針」に記載されている内容です。

 「国、県、市町村、国際交流協会等の団体、事業者、教育機関は、それぞれの役割を踏まえ、連携して多文化共生の実現に努める。

(1)国

 国は、外国人の受入れ及び現在地域で暮らしている外国人との共生について、明確な方針を示すとともに、多文化共生を目指す地方自治体に必要な財政措置を行う。

(2)県

 県は、この指針を広く県内に周知し、各推進施策の展開を促進するとともに、広域的な課題については、市町村や多文化共生を推進するNPO等と協働して事業の展開を図る。

(3)市町村

 市町村は、外国籍県民に対して、多文化共生を推進するNPO等と連携して、多文化共生の地域づくりを推進するとともに、生活支援策を実施する。

(4)多文化共生を推進するNPO等

 ほかの団体等と連携して、多文化共生推進事業を展開するほか、県や市町村の行う推進策に協働して取り組み、外国籍県民と行政、学校等とのパイプ役を果たす。

(5)事業者

 外国籍県民の適正な雇用や外国籍県民に配慮した物品やサービスの提供などに取組むとともに、自治体や多文化共生を推進するNPO等の多文化共生の推進に係る取組に協力して、多文化共生の地域づくりに貢献する。

(6)大学

 大学は、多文化共生を担う人材の育成、多文化共生に関する調査研究、行政等の施策立案への支援、留学生の地域活動支援等を通じて、多文化共生の地域づくりを推進する。

(7)小中学校、高等学校及び特別支援学校

 すべての児童生徒に対して多文化共生社会を目指した教育を推進する。 また、自治体や多文化共生を推進するNPO等と連携して、外国籍児童生徒等で日本語能力が不足している者に対し、学習支援を行う。

(8)県民

 県民は、国籍等に関わらずお互いを隣人として対話や交流を通じて、異なる文化や生活習慣などへの理解を深めるとともに、お互いを積極的にとらえ、協働して地域社会に貢献する。」

これらの推進体制と役割分担について、別の視点から検討を行う。なお、長野県多文化共生推進指針と一致する場合は、「申し分なく、その通りであると言える」と表現する。

(1)国については、申し分なく、その通りであると言える。

(2)県の推進体制については、概ね申し分ありません。しかし、「市町村や多文化共生を推進するNPO等と協働して」という表現に「等」が含まれているものの、実際には民間企業が十分に対象として認識されていません。また、その状況を改善しようと試みた場合、別の重大な課題が生じる可能性があります。特に、多文化共生の推進が、各担当者の関心・裁量・意欲などに大きく依存している現状は看過できません。本来、異なる観点や考え方に直面した際、受け入れるか否かは別として、まずは理解しようとする姿勢が求められます。例えば、生活保護制度において、受給の可否は審査の結果によって決定されますが、そもそも申請が受理されなければ、問題は審査以前の段階に存在することになります。同様に、関係者や機関、地方自治体が同じ認識を持っていたとしても、相互理解や情報共有が適切に行われなければ、新たな課題の発見や必要な改善が阻害されます。各市町村では、一定の考え方が固定化しやすい傾向が見られます。しかし、県においては決してそのような状況が生じてはなりません。なぜなら、県はその指針を広く県内に周知し、各推進施策の展開を促進するとともに、広域的な課題に対して市町村や多文化共生を推進するNPO等と協働しながら事業の展開を図るという重要な役割を担っているからです。

(3)市町村の推進体制については、一定の矛盾があると言えます。県と同様に、多文化共生推進において民間企業を十分に含んでいません。その上で日本における多文化共生の理念とは正反対の施策を実施する役割を担っていると言えます。多文化共生の地域づくりを推進するためには、外国人の自立が必要不可欠です。しかし、生活支援のあり方によっては自立の妨げとなり、自立の必要性や意欲を中途半端に満たしてしまう可能性があります。本来、生活の支援は地域の皆様に求めるべきものであり(日本人と同様)、言語の壁が自身にとって不都合である場合は、それを自身で克服し、責任を負うべきものです。日本や日本人が、外国人の日本語能力の不足に対して責任を負う理由は一切ありません。外国人は、奴隷として来日したわけではなく、言語・文化・制度などの壁の存在を認識した上で、来日することを選択しています(一部の外国人を除く)。これは自己都合によるものです。日本語能力や日本文化に関する知識が不足している人ほど支援を受けている、あるいは過去に受けていたケースが多く、逆にそれらの能力が高い人ほど支援を受けていないことが多いという事実があるため、支援が自立の妨げとなることは明白です。したがって、市町村の本来の役割は、市町村民一人一人の多文化共生に対する興味や必要性に応じるのではなく、多文化共生の必要性が個々の関心に関わらず存在するということを理解してもらうことにあります。そのためには、まず市町村を統括する地方自治体が多文化共生の本質を理解し、その実現が不可欠であることを認識する必要があります。多くの市町村では、多文化共生推進の各種事業の規模が小さい理由を、市町村民の関心が低く、ニーズがないためだと説明しています。しかし、それは市町村が地方自治体としての役割を十分に果たしていないからです。市町村民に多文化共生への関心を持ってもらうことこそ、市町村の役割の一つであり、それを果たさなければ、多文化共生の推進は始まらないのです。

(4)「多文化共生を推進するNPO等」という題名の時点で、既に矛盾が生じていると言えます。なぜなら、現時点において日本には真に多文化共生を推進するNPO等が存在しないからです。国際交流や国際協力、各種支援活動が多文化共生推進事業として認識されている現状があるため、そのように見えているだけであり、実際に多文化共生推進事業を行っている団体は存在しません。さらに、多文化共生の「実現」に向けた「過程」に過ぎない「推進」を事業目的としているため、最終的な実現が望めず、推進を繰り返すだけの無限ループが生じています。これにより、事業の成果や実績が明確に求められない状況となり、結果として多文化共生の実現につながらない活動が横行しやすくなっています。例えば、生活支援に関する相談業務を行う団体が、多文化共生推進事業として業務委託料や補助金、助成金を受けるケースがあります。しかし、「推進」という枠組みのため、一定数の利用者がいれば事業として成立する条件が多く、実際に多文化共生が進んでいるかどうかは問われません。この点において、「推進」と「実現」の間には明確なハードルの違いがあると言えます。また、多言語専門家の雇用に関しても問題があります。支援事業を行う団体は、原則として専門性を持つ事業者を確保する必要があるにもかかわらず、予算不足などを理由にその確保を妨げる状況を生み出しています。結果として、多言語専門家が不安定な立場に置かれ、厳しい環境にさらされることとなっています。特に、多言語専門家の大半は個人事業主として雇われるケースが多く、「報酬」は支払われるものの、労働者としての地位が与えられず、労働者としての権利を主張することができません。加えて、その報酬は専門性に見合った金額ではなく、アルバイトやパートと大差ない水準であることが一般的です。そのため、日本人の場合を除き、多言語専門家にとってNPO等は、ブラック企業ならぬブラック団体となっているのが現状です。

(5)事業者については、概ね申し分ありません。ただし、あえて指摘するならば、「任意」である点が課題として挙げられます。役割としては適切な内容が示されていますが、その後の取り組みや継続的な関与については、「以降は、知らない」という姿勢が見受けられます。この点が非常に残念であり、多文化共生の実現に向けた長期的な視点が欠けていると言わざるを得ません。

(6)大学については、申し分なく、その通りであると言える。

(7)小中学校、高等学校および特別支援学校については、市町村の推進体制と同様に矛盾があると言えます。本来、多文化共生と支援は正反対の概念でありながら、両方を混同した施策が進められているためです。さらに、公式な記載はないものの、実際には多くの学校で保護者への言語支援や通訳者の配置が行われています。しかし、これらの取り組みは多文化共生の推進という観点から見ると、むしろ妨げとなります。外国人に対し特別扱いをすることで、支援が中途半端に提供され、結果として自立を促進するどころか、中途半端な依存関係を生み出してしまうのです。

(8)県民に関する推進体制については、「ありえない」の一言で表現できるほど、内容が不十分であると言えます。これは完全に手抜きの内容であり、具体性や実効性に欠けています。簡単に言えば、「地域社会のために日本人も外国人も適当に有効な関係を築いて、お互いのことを分かり合うように努力してね」という丸投げの姿勢です。さらに、平等性を強調するあまり、「国籍などに関わらず」という表現が使われている点も問題です。これは、現実的な多文化共生の実現において重要な役割を果たすべき日本人の立場を曖昧にし、外国人に対する過剰な支援を正当化してしまう恐れがあります。日本における多文化共生の実現において、最も重要なのは、実は日本人の役割です。外国人は、前述のように自分自身の都合で来日しており、日常的に困難を感じていなければ、日本文化に対する興味も湧かないことが多いです。また、日本語能力の向上を求められる理由も、困っていない外国人にとっては理解しづらいことです。実際には、日本語ができないことや日本の文化を知らないことに困るのは外国人ではなく、むしろ日本人の方なのです。そのため、日本人は外国人がどのように考えるかを理解し、彼らとの適切な接し方を学び、余計な支援をせず、相手が自立する必要性を意識的に促すことが重要です。

以下は、上記の別視点からの検討を考慮し、推進体制と役割分担について改めて検討します。

国、県、市町村、国際交流協会等の団体や多文化共生の実現を目的とする民営会社、事業者、教育機関は、それぞれの役割を踏まえ、連携して多文化共生の実現に努めます。

(1)国
国は、外国人の受け入れ及び地域で暮らす外国人との共生に関する明確な方針を示すとともに、多文化共生を推進する地方自治体に対して、必要な財政措置を講じます。

(2)県
県は、この指針を広く県内に周知し、各推進施策の展開を促進します。また、広域的な課題については、市町村や多文化共生を目指す民営会社と協働し、事業を展開していきます。県は、指針に沿った活動に加え、異なる観点にも耳を傾け、さまざまな視点を取り入れて検討を行います。

(3)市町村
市町村は、多言語専門家の確保を目的に、地方自治体の境界にとらわれず広範囲に事業を展開します。さらに、日本における多文化共生に精通した民営会社に業務を委託し、市町村民が日本における多文化共生施策・政策に参画できるよう促します。

(4)日本における多文化共生の実現を目的とする民営会社
多文化共生を目指す民営会社は、地方自治体が行う多文化共生推進事業に協力し、日本における多文化共生施策・政策に関わる事業を地方自治体と共に取り組みます。事業者として、多文化共生の地域づくりを推進します。

(5)事業者
事業者は、外国籍県民の適正な雇用や外国籍県民に配慮した物品やサービスの提供に取り組み、自治体や多文化共生を目指す民営会社の取り組みに協力します。これにより、多文化共生の地域づくりに貢献します。

(6)大学
大学は、多文化共生を担う人材の育成、調査研究、行政施策の立案支援を行い、留学生の地域活動支援を通じて、多文化共生を推進します。

(7)小中学校、高等学校及び特別支援学校
すべての児童・生徒に対して多文化共生社会を目指した教育を推進します。また、外国籍児童・生徒に対しては、日本語学習支援を行い、自治体や民営会社と連携し、児童・生徒及び外国籍保護者の自立を支援します。

(8)日本人県民
日本人県民は、多文化共生の実現の必要性を理解し、外国人が自立し地域社会の一員として認識されるよう、必要な対応を行います。対応に迷った際には、市町村が設置する多文化共生に関する相談窓口を活用し、日本における多文化共生施策・政策に協力します。

多言語専門家の確保

多言語専門家の確保を考える前に、まず現状を把握する必要があります。現在、多言語専門家という職種はボランティア的な認識が強く、十分な報酬が支払われないケースが多く見られます。その結果、多くの専門家が自営業やパート・アルバイトといった不安定な雇用形態で業務を行わざるを得ない状況にあります

このような環境では、有能な多言語専門家を確保することが難しく、「たまたま時間が空いている」などの事情で、低い報酬でも構わないとする人材が対応するケースが増えています。そのため、能力・知識・経験が十分でない外国人が通訳や翻訳業務を担っているのが実態です。

さらに、業務時間の制限や自営業としての雇用形態を理由に、社会保険への加入が認められず、有給休暇や産前・産後休業といった基本的な労働者の権利も保障されていません。このような労働環境では、言語能力や専門知識を持つ優秀な外国人が多言語専門家としての道を諦め、他の職種へ転職してしまうケースが後を絶ちません。

しかし、仮に言語能力の高い外国人であっても、一般の職種において日本語能力が日本人より低いことが多く、正社員として採用されるのは難しいのが現状です。その結果、派遣社員やアルバイトとして働かざるを得ず、NPOや地方自治体が結果的に不安定な雇用形態を助長してしまっているという矛盾が生じています。

この問題を解決するためには、多言語専門家に対する適正な報酬の確保、安定した雇用環境の整備、そして職業としての認知度向上が不可欠です。

国、都道府県、区市町村、国際交流協会等の団体、事業者、教育機関などは、多言語専門家の確保の重要性を認識しており、多文化共生に関する様々な方針や書類にも「確保」「育成」「養成」の必要性が明記されています。しかし、実際の現場を見てみると、多文化共生コーディネーターなどの役職には主に日本人が採用され、多言語の専門家としてのスキルを持つ日本語能力の高い外国人は、あくまでボランティアに近い立場で扱われているのが現状です。

このような状況では、能力の高い多言語専門家が確保されることはなく、不足が続くのも当然の結果といえます。多言語専門家という職種自体が正当な評価を受けておらず、「軽視されている」といっても過言ではありません。今後、本当の意味での多文化共生を実現するためには、多言語専門家に対する適切な待遇や職業としての確立が不可欠になるでしょう。

全国的に見れば、言語能力の高い人材を雇用している地方自治体やNPO等も存在します。その背景には、主に以下の二つの理由があると考えられます。

  • 安定した雇用環境の整備

    仕事量が多く、専門性に見合った報酬ではない場合でも、フルタイム勤務が可能であるため、生活を維持できる収入を得られる。また、労働者としての地位が保障され、社会保険の加入や有給休暇の取得など、基本的な労働者の権利を行使できる環境が整っている。

  • 一時的な自己都合による受容

    雇用条件が悪くても、短期間であれば自らの事情により受け入れるケースがある。この場合、専門性や経験に関わらず、多言語専門家としての役割を担うことになる。

しかし、このような雇用環境が全国的に整備されているわけではなく、多くの多言語専門家は依然として不安定な雇用形態のもとで働いているのが実情です。今後、多言語専門家が適正な待遇を受けられる制度の整備が求められます。

多言語専門家の確保には、専門性に見合った報酬と生活ができる収入の保証が不可欠であり、十分な報酬がなければ定着は望めません。現在、多言語専門家の多くは自営業やパート・アルバイトのような不安定な雇用形態で働いており、雇用契約を明確にし、社会保険の加入などを通じて安定した立場を確保する必要があります。有給休暇や産休・育休といった基本的な権利が保障されなければ、多言語専門家としてのキャリアを築くことは困難であり、こうした環境が整わない限り、有能な人材はこの職種を避けることになります。結局のところ、多言語専門家の確保とは「働き続けられる職業にすること」に尽き、過去の取り組みや現状を見れば、それができていないことは明らかであり、誰もが自分自身の立場に置き換えて考えれば、その必要性は理解できるはずです。

しかし、地方自治体ごとに多言語専門家の必要性や利用可能な予算、その他の条件が異なり、それらを満たすことが困難な状況があるため、日本における多文化共生の推進や日本における多文化共生施策・政策の実施、多言語専門家の確保は、民営会社でしか成し得ない事業となります。

多言語専門家の人材確保を妨げているのは、その雇用条件ですが、雇用条件の向上を妨げているのは制度の壁です。地方自治体は、公的なお金を使って施策を行う際に境界線を越えることが容易ではなく、地方自治体同士で協定を結んで広範囲の事業を行うことはありますが、簡単には実現できません。NPOなどの団体も、特定の地方自治体から業務委託料で成り立っているため、その地方自治体と同じ制限が課されます。広範囲での活動が可能なのは国ですが、国の役割は外国人の受け入れ及び地域で暮らしている外国人との共生について、明確な方針を示すとともに、多文化共生を目指す地方自治体に必要な財政措置を行うことです。これに対し、民営会社は各地方自治体やNPO等の団体から個別に業務の依頼を受けることができ、面倒な手続きが一切なく、異なる都道府県や区市町村の業務委託を受け付けることができます。そのため、全国からの業務依頼が一か所に集中し、効率的に職務を振り分けることが可能となり、同じ人材で多くの業務を行うことができます。結果として、予算の制約で日本における多文化共生施策・政策ができなかった区市町村も低価格で対応でき、必要な財源を確保することができます。このようにして、少数の言語にも対応できるようになり、多言語専門家の確保が可能になります。

多文化共生事業の民営化

現在、全国で行われている多文化共生事業は、実際には多文化共生の推進を目的とした事業として位置づけられていますが、その多くは元々存在していた国際協力事業や外国人支援事業が多いのが現状です。例えば、JETプログラム(ALT・CIR・SEA)、国際交流事業、外国人の生活支援、日本語学習支援、医療通訳、コミュニケーション支援、外国人対象の防災訓練など、これらの活動は多文化共生が意識される前から行われていた事業が多いのです。しかし、これらは本来「多文化共生」を推進するものではなく、単に外国人のための支援事業であり、正反対の性質を持っています。

日本が「多文化共生」を意識し始めた際、これらの事業が外国人や外国語に関連しているという観点から、多文化共生の施策に含まれるものとして認識され、各種事業をまとめる形になったのです。しかし、多文化共生推進という言葉の使い方が、実際には多文化共生の進展を測る基準を曖昧にしているという問題があります。「推進」という言葉は、どれだけ事業が進んだかを具体的に測る手段がなく、事業が利用される限り成功と見なされやすいのです。例えば、国際交流イベントにおいて参加者が関係者やその知人で占められても、それが「成功」とされる現状が続いているのです。本来であれば、「推進」とは活動が進み、参加者が増えていくことを意味しますが、現在の多文化共生推進事業はその進展が見えづらい状況です。

このような背景を踏まえ、JETプログラムや国際交流事業、外国人支援事業を「多文化共生の実現」を目的とした政策と独立した施策であると考えるべきです。これらは多文化共生の推進という大きな枠組みの中で重要な要素ですが、独自の目的を持つ別々の事業であるべきという視点が必要です。

また、日本における多文化共生の実現は、グローバル化の進行により、国際化の好影響を維持し、悪影響を良い方向に変えていくための政策として考えられるべきです。これは、日本人全体の利益を確保しつつ、外国人との共生を図る日本における多文化共生施策・政策として位置づけられます。この視点から考えると、多言語専門家の確保は不可欠であり、その役割は非常に重要です。地方自治体やNPO等では制度的な制限があり、十分な多言語専門家を確保することが難しい状況ですが、民営企業であれば、異なる都道府県や区市町村の業務を効率的に委託を受けることができます。これにより、多文化共生の実現を目指す事業が民営化されるべきだと言えるでしょう。

民営化により、面倒な手続きや制約が解消され、全国的に効率よく多文化共生事業を展開できるようになれば、より多くの専門家を確保し、多文化共生が実現するための効果的な措置が取られるようになると考えられます。

日本における多文化共生事業の本当の対象者

日本における多文化共生事業の本当の対象者は、日本人の皆様であると結論できます。

現代、インターネットというツールの普及が進み、地球規模化しています。地球規模化といえば、グローバル化です。また、文明の進化に伴い、スマートフォンも進化しており、持ち運びが気軽にできる世界へのゲートと言っても過言ではありません。こうした現状を理由に、日本人の皆様が避けようとしても、グローバル化は進み、国際化も進みます

なぜなら、グローバル化とは、文明の進化に伴い、もうはや止めることのできない現象だからです。世界各国の間で「人・情報・技術・製品・文化・言語」などが行き来する、あるいは行き来できる状況が整っていることを指し、国際化とは、グローバル化が進んだことによって引き起こされる結果全てです。なお、引き起こされる結果の種類は2種類に限られます。好影響であるか、悪影響であるかです。止められない現象であるグローバル化が進んだことによる結果であるため、国際化もまた止められない現象です。

例えば、ある市の住宅に住む日本人家族がいたとします。その家族の全員がグローバル化の影響を全く受けずにいることが可能なのでしょうか?さらに、その家族全員がグローバル化や国際化に反対しているとしましょう。グローバル化や国際化の推進を阻止することが可能なのでしょうか?現実的に考えれば、不可能であることがわかります。グローバル化は、日本人の皆様の興味、意見、賛成であるか否か、準備ができているか否か、その他に無関係に進んでいます。進み続けるグローバル化が引き起こすさまざまな影響、国際化もまた、日本人の皆様の興味、意見、賛成であるか否か、準備ができているか否か、その他に無関係に進んでいきます。もちろん、悪い影響だけではなく、好影響もあれば、悪影響もあります。しかし、日本人の皆様の興味、意見、賛成であるか否か、準備ができているか否か、その他に無関係に、その両方の影響の「可能性」、つまり、リスクにさらされることになります。

そこで、日本における多文化共生とは、グローバル化という止められない現象が引き起こす結果である国際化の好影響を好影響として保ち、悪影響を好影響に変えるための計画、つまり、日本総人口の約98%を占める日本人の利益を目的とする日本における多文化共生施策・政策です。

グローバル化や国際化に賛成の日本人の皆様としては、それらの現象がもたらす好影響の必要性を理解しているが、悪影響を受けたくないはずです。逆に反対の日本人の皆様としては、それらの現象がもたらす好影響の必要性を認めない、または好影響として認識しないかつ悪影響を受けたくないけれど、止められない現象である上、反対しつつも影響を受け続けるしかありません。

だから、賛成の方も反対の方も、意見が同じであるところは、悪影響を受けたくない部分だと言えます。ここで、グローバル化や国際化に賛成の方が日本における多文化共生が実現するための日本における多文化共生施策・政策を考えようとしないのは、なぜでしょうか?

また、グローバル化や国際化に反対の方が日本における多文化共生が実現するための日本における多文化共生施策・政策を考えようとしないのは、なぜでしょうか?

それは、危機感が足りないからです。ニーズとして認識しなければ、ウォンツが起きません。(ニーズ:必要性 / ウォンツ:欲求)つまり、危機感がないからリスクマネジメントに無関心でいられ、望まぬ悪影響というリスクにさらされているのです。

危機感の無さが作り出す危険性

前述のように、グローバル化とは、文明の進化に伴い、もはや止めることのできない現象であると言えます。世界各国の間で「人・情報・技術・製品・文化・言語」などが行き来する、あるいは行き来できる状況が整っていることを意味します。つまり、皆様が何もしなかったとしても進み続ける、自分勝手な現象であるのです。

国際化とは、グローバル化が進んだことにより引き起こされるすべての結果を指します。そして、その結果の種類は、好影響か悪影響のいずれかに限られます。止められない現象であるグローバル化が進んだことによる結果であるため、国際化もまた止められない現象です。つまり、皆様が何もしなかったとしても進み続けるグローバル化が引き起こすすべての結果を、好んでも好まなくても受け続けるしかないのです。

しかし、不思議なことに、本来であれば日本人が誰よりも日常の経験から危機感を持つべきだと言えます。日本で起きる止められない現象の代表的なものは地震です。言うまでもないことですが、地震を阻止することはできません。また、被害しかもたらさない地震を好きな人は誰もいないと言えるでしょう。しかし、「地震反対!」と書かれた看板を持ったデモが見られることはありません。災害対策として地震対策を様々な地方自治体で行っていますが、それは地震を起こさせないためのものではなく、地震に備えるためのものです。さらに、日本人の中には「地震は止められる!」と思う人はおらず、「ここは大丈夫!」と甘く考え、備えを疎かにする人は一部にいるかもしれませんが、概ね日本人の大半は地震に備えていると言えます。つまり、日本人は地震の恐ろしさを理解し、危機感を持ってリスクマネジメントをしっかり行っているのです。

したがって、日本人はグローバル化の恐ろしさを理解しておらず、危機感が足りないと言えるでしょう。外国人は、グローバル化や国際化の一部分であり、対象者ではないのです。

このような現実を背景に、日本人が日本における多文化共生の本当の対象者であり、また、日本における多文化共生を目的とした日本における多文化共生施策・政策によって、グローバル化が引き起こす結果をコントロールし、対象者である日本人を支援し、最終的には日本総人口の約98%を占める日本人の利益を優先する必要があると考えます。

日本における多文化共生を実現する必要性を作り出す必要性

日本人は長い間、広範囲に被害をもたらす災害、津波、地震、土砂崩れなどに備えてきました。これらの災害に対しては、さまざまな要因でそのシナリオを完全に阻止することができず、多くのケガ人や死者が出てしまうこともあります。その一つの要因は、思い込みによる判断ミス、言い換えれば、状況を甘く見てしまう危機感の欠如です。

例えば、土砂崩れの危険性が高い地域があるとしましょう。しかし、その地域ではこれまで土砂崩れによる大きな被害がなく、危険だと警告しても真剣に受け止められず、誰も対応しようとしないことがあります。危険だと感じているのは専門家で、地方自治体がその危険性を認識すれば、地方自治体として対応が求められます。しかし、土砂崩れの危険性が高い地域の住民にとっては、危機感がないため、その必要性を感じていないことが多いのです。そこで、その地域の住民が災害に備えるためには、必要性を感じていなくても、その必要性を認識させる必要があります。必要性を認めれば、その地域の住民にもニーズがあると言えるのです。

日本における多文化共生の現状は、この例のように、必要性の最初の段階にあります。日本における多文化共生の実現の必要性は、専門家だけが理解している現状に過ぎず、地方自治体はまだその必要性を認めていないのが実情です。もちろん、日本人の皆様もその必要性を認めていないからです。

日本人は、日本における多文化共生に無関心すぎて、危機感がありません。それもそのはず、そもそも日本人は日本における多文化共生が何であるかを理解していないからです。それを教えるべき地方自治体もまた、多文化共生の概念について十分に理解していません。そして、人は理解しないものを必要だと感じるのは不自然であると言えます。

ニーズとは必要性を意味しますが、ニーズがないからといって必ずしも必要性がないわけではありません。さらに悪影響を生み出さないためにも、外国語を日本語に組み込む際には、細心の注意が必要であることを忘れてはなりません。

 

日本における多文化共生社会実現計画の要約

第一段階:多文化共生に関する対象の地方自治体全職員に対する育成

対象の地方自治体の各課・係と個別に、実現可能な多文化共生社会とはどのような社会なのかを理解するため、また、多文化共生の実現を目的とした政策が未整備の中で進行するグローバル化・国際化のリスクを理解し、それに伴う多文化共生政策の必要性を認識するための研修会を実施します。この研修を通じて、政策作りの必要性に対する理解を深めることを目指します。

第二段階:対象の地方自治体の各課・係の多文化共生化計画づくり支援

次に、対象の地方自治体の各課・係と個別に、止めることのできない現象であるグローバル化が引き起こす結果としての国際化の好影響を維持し、悪影響を好影響に変えるための政策作りを支援します。さらに、日本総人口の約98%を占める日本人の利益を目的とした国際化管理政策に関する研究会を実施し、政策づくりに向けた支援を行います。

第三段階:対象の地方自治体の各課・係の多文化共生社会実現政策維持支援

地方自治体の各課・係が抱える多文化共生に関する課題の改善を支援し、潜在的な問題に対する予防計画を立案する支援を行います。この段階では、持続可能な政策の維持に向けた取り組みを支援し、改善策を講じていきます。

第四段階:多文化共生に関する対象の地方自治体の各自治会全構成員に対する育成

対象の地方自治体の各自治会に向けて、実現可能な多文化共生社会がどのようなものであるかを理解し、多文化共生の実現を目的とした政策がない中で進行するグローバル化・国際化によるリスクを理解させるための研修会を実施します。この研修を通じて、自治会の構成員に事業づくりの必要性を理解してもらい、多文化共生社会の実現を目指します。

第五段階:対象の地方自治体の各自治会の多文化共生化計画づくり支援

地方自治体の各自治会と個別に、グローバル化という止められない現象が引き起こす結果である国際化の好影響を保ちつつ、悪影響を好影響に転換するための計画づくりを支援します。加えて、日本総人口の約98%を占める日本人の利益を目的とする国際化管理計画に関する研究会を実施し、多文化共生の実現に向けた事業づくりを支援します。

第六段階:対象の地方自治体の各自治会の多文化共生社会実現事業維持支援

地方自治体の各自治会が抱える多文化共生に関する課題の改善を支援し、起こりうる問題に対する予防計画を支援します。この段階では、多文化共生社会の維持を目指し、必要に応じた支援を行います。

※外国籍住民を対象とした支援は、原則として多文化共生社会実現事業として行わず、各都道府県や各区市町村の必要性に応じて外国籍住民支援事業として行います。

※外国籍住民が、各都道府県や各区市町村が外国籍住民支援事業の実施の必要性を認めない場合、任意で支援を求める場合において、サービス依頼を受け付けるシステムの確立を目指します。

最終段階:対象の地方自治体へ多文化共生社会実現に必要な法律等の提案

地方自治体が法律改正の提案を受け入れ、関係機関への提案が行われるよう支援します。具体的な提案例としては、以下のものが考えられます。

  • 法律改正提案例1:「外国籍住民への支援予算確保のため、外国人税の導入」

  • 法律改正提案例2:「地方自治体から特定の外国籍住民の公的義務不履行の通報制度の導入」

日本における多文化共生社会実現計画 - 要約

1. 本計画の目的

本計画では、日本における多文化共生を 「グローバル化という止められない現象が引き起こす結果である国際化の好影響を好影響として保ち、悪影響を好影響に変える為の計画、即ち、日本総人口の約98%を占める日本人の利益を目的とする日本における多文化共生施策・政策である」 と定義します。従来の「支援中心」の施策から脱却し、日本社会の安定と発展を目的とした現実的な多文化共生の実現を目指します。

2. 従来の多文化共生の問題点

  • 支援偏重:外国人への生活支援・通訳・日本語教育が中心となり、「共生」ではなく「依存」を生む。

  • 曖昧な定義:総務省の2006年の報告では「対等な関係」とされるが、実際には日本社会の98%が日本人であり、現実との乖離がある。

  • 推進に留まる施策:実際の社会変革にはつながらず、多文化共生の「実現」には至っていない。

3. 本計画が提案する多文化共生の考え方

  • 支援から「自立と相互尊重」へ:外国人を一方的に支援するのではなく、共に社会を支える仕組みを構築。

  • 日本人の意識改革:多文化共生を「自らの利益」として認識し、日本人が主体的に関与する。

  • 民営化と持続可能な施策:地方自治体に依存せず、民間主体の取り組みを促進。

4. 具体的な施策の方向性

  • 日本人を主体とした政策設計:日本社会の安定を最優先とし、その上で外国人との共生を進める。

  • 推進体制の見直し:官主導から民間・地域主体へ移行し、実効性のある多文化共生政策を展開。

  • 支援と共生の区別:生活支援や通訳は必要だが、それだけが多文化共生ではない。外国人の自立と地域への参画を促す施策が重要。

5. まとめ

本計画では、多文化共生を「支援」ではなく「相互の尊重と日本社会の利益を考えた政策」として位置づけます。これにより、外国人が日本社会の一員として自立し、日本人と共に社会を発展させることを目指します。現在の多文化共生推進事業を見直し、持続可能で実現可能な形へと転換することが求められます。

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